津波の語り部-津波の日の夜のこと-
2011年3月11日、津波の後、物や人を運び、避難した人達と話をしているうちにあっという間に暗くなった。
「暗くなるのが早い。もう少し作業させて欲しい」。
そう思った。
その日は常運寺(田老のお寺)に泊った。
停電していて電気はつかなかったが、お寺にあるロウソクを貸してもらい、電気替わりにすることができた。横になれる場所を確保した。
しかしながら、やはり気持ちが落ち着かず、知り合いと小声で話しをして夜の時間を過ごした。
「お父さんは市役所にいて無事らしいぞ」
たしか、和尚さんだったと思うが、そう教えてくれた。
それを言い終わるとすぐに「宮古高校はどうなったか分かりますか?」って、近くにいた人が質問していた。
「俺にもまだ分からないけど、土手が決壊したって情報は入ってないから大丈夫なんじゃないかな。分からないけどな」
和尚さんはそんな返事をしていたはずだ。
私は自分の家族が無事であるということは何となく分かっていた。
広い部屋にけっこうな人数で雑魚寝をした。30人はいたと思う。
すすり泣く人、泣き叫ぶ赤ちゃん、その声に我慢できず赤ちゃんの母親を叱る人。
やはり寝付けずに一人で外に出た。
空にはとてもきれいに星が輝いていた。
お寺の外に長いリードにつながれた犬がいた。
「そのリードは長すぎて危ない。短くしておいて」
近所に住む知り合いから言われたが、面倒くさいし、言い方がムカついたので無視した。
「いいじゃん、引っ掛けて怪我する人がいるならそれはそれで。危ないと思うならお前がやれよ」
半ば投げやりな気分になっていた。
「あぁ、早く明るくなって欲しいな。暗いと不便だし、不安になる。でも、明るくなると現実を見ないといけない。果たして、何人の人が亡くなったんだろう。どのくらいの数の家が壊れてしまったんだろう。元の生活に戻るまでどのくらいの時間がかかるんだろう」
早く明るくなって欲しいという思いと、明るくなると対面せざるを得ない現実への恐怖に体が震えてきた。
お寺のなかに戻って少しだけ仮眠した。
2時間は眠ることができたと思う。
つづく