小学生のころから彼を知っていたが、ちゃんと話をしたことはなかった。 ときどき給油に来てくれた。 どことなく気になる存在だった。 控えめで、いつも少し照れたように会釈をする人だった。 彼の遺体は私の自宅から近 […]
津波の語り部-震災から10日目くらいまでのこと②-
大叔父の遺体を確認するため、父親と一緒に遺体安置所に行った。 遺体安置所と言っても、地元の某体育館、私もよく知っている場所がそのような使われ方をしていただけなのだが。 悲しみと緊張でハラハラとしながら、ゆっ […]
津波の語り部-震災から10日目くらいまでのこと①-
震災の翌日から10日間、従姉妹の家で寝泊まりし、そこから自宅とお店(ガソリンスタンド)のあった田老の中心部へ歩いて通った。 とりあえずの私の仕事は津波で流されたガスボンベと灯油缶を回収して一か所にまとめるこ […]
津波の語り部-震災の翌日のこと②-
2011年3月12日、お昼頃。 さんりく鉄道の線路を田老駅近くで降り、神田地区へと向かった。 (震災直後、田老駅付近の線路上には黒板が置かれていた。そこに「みんなで頑張りましょう。伊達直人」っていうメッセージがあり、思わ […]
津波の語り部-震災の翌日のこと①-
2011年3月12日。 早朝に旧田老総合事務所の前に立って、地元の人達と一緒に田老の街をみた。 「映画みたいだな」 「これ、片付けるだけで何年かかるんだろうな」 そんな会話をした。 (震災の後、田老の様子を見た人が「復興 […]
津波の語り部-津波の日の夜のこと-
2011年3月11日、津波の後、物や人を運び、避難した人達と話をしているうちにあっという間に暗くなった。 「暗くなるのが早い。もう少し作業させて欲しい」。 そう思った。 その日は常運寺(田老のお寺)に泊った […]
東日本大震災12年に寄せて。
東日本大震災から12年が経過した。 「あの日」とこれまで積み重ねてきた月日を思う。 12年。 二度と繰り返したくない。でも、とても大切な時間になった。 忘れられない光景がある。 震災直後のこと。 瓦礫の下か […]
津波の語り部-田老の街が津波にのまれたとき-
「津波の勢いが凄かった。ここまで来るかもしれない。もっと上に行かないと」 「あれに追い付かれたら死ぬ」 そう思いながら旧田老総合事務所の横の道を走った。 常運寺(田老のお寺)のお墓の上の方まで行き、そこから下を見た。 流 […]
津波の語り部-避難から津波がくるまで-
地震のあと、避難するときにバックに入れたのは、お客さんのデータが入ったハードディスク、お財布、会社と家の鍵、筆記用具、読みかけの本(高坂正堯の『文明が衰亡するとき』)。 事務所から旧田老総合事務所(避難所に […]