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津波の語り部-津波の日の夜のこと-

2011年3月11日、津波の後、物や人を運び、避難した人達と話をしているうちにあっという間に暗くなった。 「暗くなるのが早い。もう少し作業させて欲しい」。 そう思った。   その日は常運寺(田老のお寺)に泊った […]

東日本大震災12年に寄せて。

東日本大震災から12年が経過した。 「あの日」とこれまで積み重ねてきた月日を思う。 12年。 二度と繰り返したくない。でも、とても大切な時間になった。   忘れられない光景がある。 震災直後のこと。 瓦礫の下か […]

津波の語り部-田老の街が津波にのまれたとき-

「津波の勢いが凄かった。ここまで来るかもしれない。もっと上に行かないと」 「あれに追い付かれたら死ぬ」 そう思いながら旧田老総合事務所の横の道を走った。 常運寺(田老のお寺)のお墓の上の方まで行き、そこから下を見た。 流 […]

津波の語り部-避難から津波がくるまで-

地震のあと、避難するときにバックに入れたのは、お客さんのデータが入ったハードディスク、お財布、会社と家の鍵、筆記用具、読みかけの本(高坂正堯の『文明が衰亡するとき』)。   事務所から旧田老総合事務所(避難所に […]

津波の語り部‐発災から避難まで‐

2011年3月3日、午前6時過ぎ、昭和三陸大津波の日、地元の避難訓練に参加した。 早朝、訓練の防災無線が鳴るなか、旧田老総合事務所前の駐車場へ一人で歩いて行った。 かすかに覚えているのは二つ。 「寒いから早く帰りたい」と […]

津波の語り部-イントロダクション

多分、15年くらい前のこと。 家に置いてあった父親の名刺の裏に以下のような記述を見つけた。   田老という地名の由来 津波をかぶって田んぼが老いた 田老は多老。若者が津波で亡くなり、老人が残った アイヌ語で水を […]

田畑ヨシさんへよせて

幼少より折に触れて地元のおじいちゃん・おばあちゃん達から昭和の津波の話を聴いた。 小学校に来て全校生徒の前で話をするおじいちゃんもいた。夏休みの地区行事でおばあちゃんに津波の話をしてもらうこともあった。   な […]

千葉先生へよせて

東日本大震災の翌年のある日、千葉先生から電話がきた。 「会わせたい人がいる。パークに来てよ。智春ちゃんも呼んだからさ」 「分かりました」と返事をし、急いで浄土ヶ浜パークホテルへ向かった。 そこで紹介していいただいたのが、 […]

2022年春のインターン終了によせて

約一か月半の現地活動が終り、インターン生達が宮古から巣立っていった。 日々旅が一か月以上の長期インターンを受け入れるのは今回で6回目。   毎回、企業として多くの学びがある。 私も学生の考え方や感性は意識して吸 […]