千葉先生へよせて
東日本大震災の翌年のある日、千葉先生から電話がきた。
「会わせたい人がいる。パークに来てよ。智春ちゃんも呼んだからさ」
「分かりました」と返事をし、急いで浄土ヶ浜パークホテルへ向かった。
そこで紹介していいただいたのが、青山学院大学(当時は女子短期大学)の吉岡先生だった。
あれから10年以上経った。
吉岡先生とはこの夏も一緒に活動させてもらった。
パークホテルに私と一緒に呼び出された浄土ヶ浜旅館の女将(智春ちゃん)も、千葉先生の紹介で知り合った。
日々旅を起業した過程をよく聞かれる。
震災の次の年に催行した「浄土ヶ浜 鎮魂の祈り」の実行委員会が発端となり、そこから読書会、宮古観光創生研究会、日々旅(ゲストハウス3710)へと至る。
発端となった「浄土ヶ浜 鎮魂の祈り」を企画し、私たちに「実行委員にならないか」と声をかけてくれたのが千葉先生だった。女将さんはその実行委員会の委員長だった。
千葉先生から最後にもらった年賀状には、「洋一郎君にはいい仲間がいる」という手書きのメッセージが添えられていた。
ときに「むちゃぶり」をしてくる人だった。
「それには賛同できないです。今回は一緒に活動できません」と言って、先生からのオファーをお断りしたこともある。
それでも広い心で接してくれた。関係が途切れることはなかった。
「隣にいる人を大切にしなさい。故郷や母校、自分と縁のあるものを支えなさい。それがあなたの財産になるんだ」
そんなことを教えていただいた。
先日、はじめて青山学院の学生と私の仲間の交流会を開催した。
千葉先生から受け取ったものを継承し、発展させるきっかけになれば、と思う。
先生が亡くなって二週間後、お礼を申し上げるために仙台のご実家へ行った。
「何か食べさせないと主人に怒られるから」
と、おっしゃる奥様のお言葉に甘えて、千葉先生が好きだったというトンカツ弁当をご馳走になった。
奥様の言動、すごくすごく千葉先生を感じた。嬉しくて、寂しかった。
千葉先生、コロナでいろいろ大変でしたが、今年も青山学院の方々を迎えることができました。
本当にありがとうございました。
あと、トンカツ美味かったです。ご馳走様でした。