津波の語り部-避難から津波がくるまで-
地震のあと、避難するときにバックに入れたのは、お客さんのデータが入ったハードディスク、お財布、会社と家の鍵、筆記用具、読みかけの本(高坂正堯の『文明が衰亡するとき』)。
事務所から旧田老総合事務所(避難所になっていた)までは直線で300mくらい。
母親と一人の従業員(あと一人の従業員は「家にいる親が心配」と自宅に帰った)とトコトコと歩いて避難した。
途中、両手に持てないくらい多くの風呂敷つづみを抱えたお婆ちゃんがいた。
「「腰が曲って、手押し車を押しているおばあちゃんも「津波が来る」ってときは走り出すんだろうな」って思ってたけど、そんなことはないんだな」。そんなことを思いながら見ていた。
総合事務所に着き、建物の方へ近づいていったら、知り合いの職員さんに声をかけられた。
「この建物(旧田老総合事務所)は耐震基準に問題がある。大きい地震の後は近づかない方がいい」。
それじゃ避難所の役割を果たしてないじゃないか。。。って少し呆れたのを覚えている(2022/10/04現在、解体工事が進んでいる)。
仕方なく建物から離れ、避難する人達を見ていた。
杖をついたお婆ちゃんが避難所へ続く階段を登れずにいたのに気が付いた。
すぐに降りて、その場にいた男衆2人と一緒に脇を抱えて階段を登るのを手伝った。
そのとき、だった。
「うわぁ、すげぇ」「きてる」
総合事務所の上の階で海の方を見ていた人が叫んだ。
「あぁ、津波きたんだな。ここは大丈夫かな」。
「耐震基準を満たしてない建物の上の階にいて、あの人達は大丈夫か?」
「とりあえず、このお婆ちゃんを上げないと」。
そんなことを思って、一歩一歩階段を上がっていった。
「はやく上がれ。来てるぞ」
血相を変えて階段の上からこちらに向かって叫んぶ人。
「もうきた?堤防は?」一瞬、そう考えた。
振り返ると、真っ黒い津波が田老の堤防にぶつかり、空にどっと飛沫(しぶき)が上がるのが見えた。
「やばい。やばい。やばい」そう口に出したと思う。
「オレはいいから、逃げて」。お婆ちゃんはそう言った。
「いやいや、階段の上まで行こう」私から、そう声をかけたと思う。
焦りながらお婆ちゃんを総合事務所前の駐車場まで連れて行き、また振り返って津波を見た。
津波が家をなぎ倒し、方々で土埃みたいのが上がっているのが見えた。
「勢いが凄い。もっと上に行かないと。ここも危ない」
そう思って山の上の方へ走った。
あのとき、私は怖くて逃げた。
お婆ちゃんを連れて行く余裕はなかった。
津波は駐車場までは到達せず、結果的にお婆ちゃんは助かった。
だけど、怖くて逃げたっていう事実には結構苦しめられた。
「津波てんでんこ」について、たまに考える。
【地震のあとは1人で逃げなさい。自分の命は自分で守りなさい】
そういう意味だと理解しているし、きっとその教えは正しい。
「津波てんでんこ」はその裏に、
【人を助けられなくても、自分を責めるな】
っていう意味が込められている。
厳しくて優しい言葉なんだと解釈している。
だけど、自分がその立場になったら。。。
目の前の人を助けられずに自分だけ生き残ったら。。。
そんな思いを反芻せずにはいられなかった。
それでも、誰かが人を助けられなかったことに囚われて苦しんでいるなら伝えたい。
「津波てんでんこ。誰かの命を救えなくても、自分を責めるな。生き残ったあなたはちゃんと生きろ」
この後のことはまた次回書きます。