津波の語り部-田老の街が津波にのまれたとき-

津波の語り部-田老の街が津波にのまれたとき-

「津波の勢いが凄かった。ここまで来るかもしれない。もっと上に行かないと」

「あれに追い付かれたら死ぬ」

そう思いながら旧田老総合事務所の横の道を走った。

常運寺(田老のお寺)のお墓の上の方まで行き、そこから下を見た。

流される家、ギリギリで逃げてくる車。

その後ろで第二波(第三波?)に街全体が飲まれるのが見えた。

 

津波が届かない「安全な」場所にきて、凄く冷静になれた。

あぁ、これが津波なんだ。

とりあえず、俺は生き残ることができたようだ。

まさかここまで大きいのがくるとは。

「田老って人が住んではいけない場所だよ。津波を何回繰り返すんだよ」

正直、それも思った。

しばらく呆然としていたが、そうはしていられない状況だった。

そこからの記憶は途切れ途切れ。

田老公民館のふすまを外し、それを担架代わりにして診療所の入院患者さん達を運んだ。

津波で床がドロドロの公民館に入った瞬間、ガソリンの匂いがした。

「引火したら危ないな。ここは怖いな」そう思った。

「母ちゃんがいねぇんだでば」と、親戚に泣きつかれた(その後、無事に見つかった)。

やたらと物を運ばないといけなかった。

スポーツジムで顔見知りになった役所の職員さんがいて「トレーニングの成果を出すときですね」みたいに話しかけた。

保健所に連れて行かれるであろう犬が狭い檻のなかで凄く怯えていた。

「この状況でこの犬が一番不安だろう」と思った。

今でもたまに思い出す。あの犬はその後どうなったんだろう。

自販機のジュースを買いたかったが、空気を読んで買えなかった。

「ジュースはお年寄りに譲れよ」そんな声が自分のなかから聞こえた。

「近くの家に寝たきりの婆ちゃんがいる。運ぶのを手伝ってけで」

そう話しかけられた。

その家に行くには津波のなかを歩かないとならなかった。

「着替え持ってないぞ。。。」そう思って少し戸惑ったが、横を見ると知り合いが躊躇なく津波のなかに入った。その後を続くしかなかった。

16時は過ぎていたと思う。服に染み込んでくる津波は冷たかった。

家に入り、ベッドで寝ていたお婆ちゃんを担いで運んだ。

記憶はその辺りから鮮明だ。

「こうやって、逃げられない人や逃げなかった人は田老に一体何人いるんだ」

お婆ちゃんを運びながらそう考えて怖くなったことははっきりと覚えている。

つづく

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