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津波の語り部-震災の翌日のこと②-

2011年3月12日、お昼頃。 さんりく鉄道の線路を田老駅近くで降り、神田地区へと向かった。 (震災直後、田老駅付近の線路上には黒板が置かれていた。そこに「みんなで頑張りましょう。伊達直人」っていうメッセージがあり、思わ […]

津波の語り部-震災の翌日のこと①-

2011年3月12日。 早朝に旧田老総合事務所の前に立って、地元の人達と一緒に田老の街をみた。 「映画みたいだな」 「これ、片付けるだけで何年かかるんだろうな」 そんな会話をした。 (震災の後、田老の様子を見た人が「復興 […]

宮古短大での講義を終えました。

今年の4月から週一で合計15回、宮古短大で英語の講義「外書購読Ⅱ」をさせていただきました。 本日(2024年7月30日)が最終講義でした。 「大変だったけど、楽しかったなぁ」というのが素直な感想。   「先生が […]

津波の語り部-津波の日の夜のこと-

2011年3月11日、津波の後、物や人を運び、避難した人達と話をしているうちにあっという間に暗くなった。 「暗くなるのが早い。もう少し作業させて欲しい」。 そう思った。   その日は常運寺(田老のお寺)に泊った […]

東日本大震災12年に寄せて。

東日本大震災から12年が経過した。 「あの日」とこれまで積み重ねてきた月日を思う。 12年。 二度と繰り返したくない。でも、とても大切な時間になった。   忘れられない光景がある。 震災直後のこと。 瓦礫の下か […]

津波の語り部-田老の街が津波にのまれたとき-

「津波の勢いが凄かった。ここまで来るかもしれない。もっと上に行かないと」 「あれに追い付かれたら死ぬ」 そう思いながら旧田老総合事務所の横の道を走った。 常運寺(田老のお寺)のお墓の上の方まで行き、そこから下を見た。 流 […]

津波の語り部-避難から津波がくるまで-

地震のあと、避難するときにバックに入れたのは、お客さんのデータが入ったハードディスク、お財布、会社と家の鍵、筆記用具、読みかけの本(高坂正堯の『文明が衰亡するとき』)。   事務所から旧田老総合事務所(避難所に […]

津波の語り部‐発災から避難まで‐

2011年3月3日、午前6時過ぎ、昭和三陸大津波の日、地元の避難訓練に参加した。 早朝、訓練の防災無線が鳴るなか、旧田老総合事務所前の駐車場へ一人で歩いて行った。 かすかに覚えているのは二つ。 「寒いから早く帰りたい」と […]